2011年7月8日金曜日

北の国へ

先月末に岩手県に行ってきました。
宮古市の体育館でボランティアをし、大船渡の親戚にも逢ってきました。

宮古は盛岡から東へ向かい電車かバスで2時間余り。
岩手県の北部に位置し、津波は30mの高さにまで達したそうですが、他の沿岸部に比べて被害のあった地域は限局的だったようです。岩手県鍼灸指圧マッサージ師会の会長の佐々木先生と会員の先生方と待ち合わせて、バスで宮古へ。

駅周辺は食堂や店も営業していて、一見、津波の被害のあった所とは思えない様子。盛岡から宮古までの電車も一カ月後には復旧したとのことです。
とはいえ、車で港方向へ1~2分も走ると信号機は点いておらず、そこから先は軒並み倒壊した建物が連なっていて、様相は一変します。
ガレキはかなり撤去されていますが、津波の被害は甚大です。この日も側溝の泥をかき出すボランティアの人をたくさん見かけました。

タクシードライバーによると、ご本人は当日、勤務がなかったので難を逃れましたが、タクシー会社の社長は津波でさらわれて、今も行方不明とのことです。テレビで繰り返し放映された津波が襲った魚市場の屋根が、すごく高いのを見て、30mの高さの津波の威力に足もとがすくみました。


体育館ではマッサージの先生方とともに、鍼治療。
避難所は統合されているようで、体育館が最後の避難所だそうです。
体育館には150名強が避難されていますが、合同慰霊祭と重なり外出している方が多くて、20名くらいが避難所に残られていました。

5人の先生で14人の施術をしました。背中や肩や腰に凝りや、熟睡できないなどの症状を訴える方が多いです。昼間はガレキの撤去や仕事探しなど、避難者は忙しいのだと話されていました。
長期に渡る過酷な環境での生活に心身ともに疲弊しておられます。
避難所では段ボールで仕切られた空間しかなくて、女性の鍼治療には限界があります。
少しの間でもプライベート空間があれば…とジレンマを感じます。

奈良から来た、と言うと心から感謝されました。様々な地域から多くの人が応援に駆け付けていますが、関西からの応援は途切れることがないそうです。繰り返し誰かが来てくれるのだそうです。
神戸は震災を経験しているので、応援の初動も早かったのですが、他の関西地域からの応援も絶えないとのこと。
関西人の一人として、チョット誇らしく、嬉しい瞬間でした。

少しでも早く、少しでも先に再生の道を歩んでほしい!その一心です。
帰阪してもこの想いは募ります。

0 件のコメント:

コメントを投稿