2011年7月9日土曜日

北の国から パート2

宮古での活動を終えて、その日は花巻で一泊。宿に着いたのが遅くて急いで夕食を済ませました。
翌日はレンタカーを借りて、一路、親戚のいる大船渡へ。

この日は朝から激しい雨。出発する直前には震度5強の余震もあり、土砂崩れを警戒しながらのドライブ。花巻から大船渡までは山道を辿って約2時間。
道路は完全に復旧していて、思った以上に走りやすくて、ホッとです。

避難しているのは三人。震災以来、無事がわかってからずっと逢いたいと願っていたNさんと兄夫婦です。逢った瞬間、二人で抱き合って涙、涙!感動のご対面!とにかく無事で良かった!

彼女の避難先に着き、兄嫁さん手作りのお昼をご馳走になりました。心のこもった手料理に、お見舞いにきたのに良いのかなぁ…と思いながらも、ホント美味しくて完食。親戚の空家をしばらく避難先にしているとのこと。
避難所に比べて、プライバシーも確保でき恵まれていると言います。


昼食を終えて、高台にいる親戚に逢いに行きます。高台では、地震で壁に亀裂が入ったようですが、一見は無傷な状態。同じ被災地とはいえ、津波で全て持って行かれた者と損壊のない者とのギャップを痛感。

車で大船渡を案内してもらいました。大船渡は宮古よりも津波の被害は甚大です。
港は満潮ではないのに、浸水していました。その日は雨で気温も低かったのですが、ガレキが積まれたところは異臭が漂います。腐った魚の処理が終わったから、臭いはマシとのことですが、やはり窓を開けると堪えます。






停電しているので、信号がなく、大阪府警の車両が随所に停まり、警察官が手信号で合図しています。雨の中での作業に頭が下がります。
道路はいたる所で冠水していて、通行止めが多いです。ガレキに埋もれた街に倒壊しないで立っている立派な建物があります。近くに行ってみると、中はグチャグチャ。
巨大な丸太がビルの三階に刺さっていたそうです。港にあった丸太が津波で悪さをした、とのこと。

少し高台に移り、街を一望。
想像を絶する景色と親戚の話に、言葉を失います。
テレビで報道されている映像を観るのと現場に立って感じるのは雲泥の差があります。
現場の空気に触れないとわからないことが多いと実感。


帰阪してからのメールで、仮説住宅が当たったとの報せ。近々、引っ越すそうです。
仕事場も住居も流されましたが、先日、部屋を借りて仕事を再開したとのこと。
行政を待っていては何も始まらない。自分たちで動き出さないと!と彼女の弁。
国も地方も早く動いてほしい!切なる願いです。

2011年7月8日金曜日

北の国へ

先月末に岩手県に行ってきました。
宮古市の体育館でボランティアをし、大船渡の親戚にも逢ってきました。

宮古は盛岡から東へ向かい電車かバスで2時間余り。
岩手県の北部に位置し、津波は30mの高さにまで達したそうですが、他の沿岸部に比べて被害のあった地域は限局的だったようです。岩手県鍼灸指圧マッサージ師会の会長の佐々木先生と会員の先生方と待ち合わせて、バスで宮古へ。

駅周辺は食堂や店も営業していて、一見、津波の被害のあった所とは思えない様子。盛岡から宮古までの電車も一カ月後には復旧したとのことです。
とはいえ、車で港方向へ1~2分も走ると信号機は点いておらず、そこから先は軒並み倒壊した建物が連なっていて、様相は一変します。
ガレキはかなり撤去されていますが、津波の被害は甚大です。この日も側溝の泥をかき出すボランティアの人をたくさん見かけました。

タクシードライバーによると、ご本人は当日、勤務がなかったので難を逃れましたが、タクシー会社の社長は津波でさらわれて、今も行方不明とのことです。テレビで繰り返し放映された津波が襲った魚市場の屋根が、すごく高いのを見て、30mの高さの津波の威力に足もとがすくみました。


体育館ではマッサージの先生方とともに、鍼治療。
避難所は統合されているようで、体育館が最後の避難所だそうです。
体育館には150名強が避難されていますが、合同慰霊祭と重なり外出している方が多くて、20名くらいが避難所に残られていました。

5人の先生で14人の施術をしました。背中や肩や腰に凝りや、熟睡できないなどの症状を訴える方が多いです。昼間はガレキの撤去や仕事探しなど、避難者は忙しいのだと話されていました。
長期に渡る過酷な環境での生活に心身ともに疲弊しておられます。
避難所では段ボールで仕切られた空間しかなくて、女性の鍼治療には限界があります。
少しの間でもプライベート空間があれば…とジレンマを感じます。

奈良から来た、と言うと心から感謝されました。様々な地域から多くの人が応援に駆け付けていますが、関西からの応援は途切れることがないそうです。繰り返し誰かが来てくれるのだそうです。
神戸は震災を経験しているので、応援の初動も早かったのですが、他の関西地域からの応援も絶えないとのこと。
関西人の一人として、チョット誇らしく、嬉しい瞬間でした。

少しでも早く、少しでも先に再生の道を歩んでほしい!その一心です。
帰阪してもこの想いは募ります。