2011年3月31日木曜日

地震と心震

東日本大震災の報道で、テレビをつけてはため息の日々。

父方の祖父の故郷が、岩手県大船渡市大船渡町なのです。
祖父は分家の次男坊で、他家に婿養子に行くことになり、婿養子になりたくない祖父は故郷を捨てて、大阪の地を終の棲家にしたのです。

祖父母も他界し、大船渡の親戚の付き合いも疎遠になっているのですが、今でも何人かの人との交流はあります。
6年ほど前に大船渡に行った時には、心のこもったもてなしをして頂き、紅葉の美しさも重なり、想い出深い地となった街です。

それが、今は無残にも街は壊滅状態。本家は自宅も家族も無事とわかったのですが、一番気にかけている人の消息がなかなかわからず、憔悴していました。
彼女の避難先がわかったのが、震災後一週間経ってのことです。

その後の状況が全くわからなかったのですが、ようやく今朝、彼女と電話することができました。避難所を出て、お兄さん夫婦と生活を始めたとのこと。内陸部なので、ライフライフも大丈夫で、今は少し落ちついたそうです。

彼女の仕事場は津波で全壊、自宅は二階部分まで水に浸かったそうです。
私は出す言葉を失ったのですが、彼女はこれからの立て直しを力強く語っていました。
辛い状況だからこそ、強い言葉で再生を話す彼女の気持ちが伝わってきて、ただひたすら聴くことしかできませんでした。

彼女とは、年に数回しか話していないのですが、人を思う気持ちは、その人に逢った回数や距離ではないのですね。
大事な人と思っていたのは事実ですが、私のなかの彼女の存在が、これほど大きいものとは思っていませんでした。

この震災が、かろうじて私に知らせてくれた大事な「気づき」です。
そして、そのことに気づけたタイミングが遅すぎなかったことに、ただ、ただ感謝です。


今、私ができること。
それを考えながら、彼女を想いながら、ブログを書いています。

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